毎週、金曜日の夜に行われている湧学館の読書会も今年で8年目。
「後志の文学」講座、今年度は「京極文芸館」と銘打ち、昭和42年から52年にかけて
京極町で発行されていた同人誌『京極文芸』全15冊を1年間かけて読破します。
京極の懐かしい人たちに再会!
毎月第2金曜日 夜7時〜8時/湧学館 読書室にて
12月9日(金) 第8回(最終回) 第14号〜第15号 | |
第14号と第15号の読書会を一緒にしたのにはわけがあります。二つの強力作品、「京極小学校お話クラブ」作品と阿部信一氏の小説『百姓の子』がこの2冊にわたって連載されているからです。どちらも間を空けず一度で読み切ってしまおうということで、この今年度最終の読書会となりました。 まず「京極小学校お話クラブ」。針山和美先生がつくった作文指導計画では、1年生の4月から6年生の3月まで毎月ごとの指導計画がびっしり展開されていますが、まさに、子どもたちがこんな楽しいおもしろいお話が書けるまでに成長したという実例がここにあります。脱帽するしかありません。すごい仕事! 小説『百姓の子』。こちらも凄い。阿部信一氏は冒頭の書き出し文章をまったく同じに揃えて、第13号では『有島の大地』という随筆に、そして第14〜15号では『百姓の子』という小説に、それぞれ仕立てるという大変器用なことをやっています。よほどの知性がないと、なかなかこういうことはできません。感心もし、感動もしました。 |
11月11日(金) 第7回 第13号 | |
第13号の発行は昭和55年12月。今回も力作が2編です。一つ目が前田克己氏の『飛行機の飛んだ日(後志風土記J)』。大正5〜6年のアート・スミスの北海道初飛行や大正8年の井上中尉「剣号」の飛行などを貴重な考察で解明して行きます。冒頭、余市に残る一枚の飛行機写真をめぐって余市の古老たちの記憶が語られるのですが、十人が十人とも記憶がちがい細部がまちがっていたのが大変印象的な作品でした。 二つ目が阿部信一氏。第12号の『濃霧の里』で鮮烈なデビューを果たした氏の快進撃は止まることを知りません。今回は『有島の大地』。後に有島武郎によって農場解放が行われることになる有島農場に小作として入った阿部一族の歴史が余すところなく描かれます。『カインの末裔』とはまったく逆の視角から書かれた「有島農場」は大変興味深い。貴重な作品です。 |
9月9日(金) 第6回 第11号?第12号 | |
第11号の発行が昭和54年11月。第12号の発行が昭和55年5月。次第に発行間隔が開いてきています。そのことと比例するかの如く、執筆者の固定化も続いています。 針山和美氏は第11号に創作『重い雪のあとで』を発表しました。この作品、ある小学校での「父兄参観日」を皮切りに、教室での授業、職員会議の風景などがばんばん描かれている異色作です。そして、この作品が「京極文芸」に執筆した針山氏最後の作品となりました。 第12号で、おっ!という新星が登場。「中学校の俳句指導で名の知られて」いる阿部信一氏の同人参加です。『濃霧の里』という随筆を書かれていますが、この作品、後に雑誌「クオリティ」の第一回北海道ノンフィクション賞に輝くことになります。 |
8月12日(金) 第5回 第9号〜第10号 | |
第9号。前田克己氏『後志風土記』も第7回を数え、絶好調。特に今回の「草相撲の人々」は反響が大きく、触発された文章が第10号以降に続々と出てきます。金田小太郎氏の連載『開拓時代の思い出話(三)』、移民団がついに岩内浜に到着。「藤村徳治」(ワッカタサップ川上流に鉄鉱石を発見した人)が出迎え、羊蹄山麓まで道案内をするといった興味深い話も出てきます。 第10号は記念号。102ページの大冊です。針山和美氏は創作「敵機墜落事件」の他に、「『京極文芸』十号の歩み」という長文を載せています。また、この10号は「京極町児童生徒作品特集」を行っている点でもユニーク。小学一年生の詩・作文から針山氏の創作まで、町中の人々が勢揃いした姿はなかなかの壮観です。 |
7月8日(金) 第4回 第7号〜第8号 | |
毎号の表紙カットを描いているのは同人の尾川和彦氏です。毎号色を変えて、創刊号から第3号までが「町役場」風景、第4号と第5号が「羊蹄山」と続き、第7号からは「無意根」方向のスケッチに変わりました。(もしかしたら「脇方」?) 第7号で針山和美氏は『女囚の記』を発表。金田小太郎氏の連載『開拓時代の思い出噺』も始まります。第8号では、岡田義明氏の連載『米国十六日の印象記』がスタート。前田克己氏の『後志風土記』も絶好調です。 |
6月10日(金) 第3回 第4号〜第6号 | |
針山和美氏の作品を軸に読み進めるため、6月は「京極文芸」第4号〜第6号の3冊を一気に読みます。「創作」(「京極文芸」では「小説」作品のことを「創作」と呼びます)関係では、第4号の針山和美『三郎の手紙』氏の他に、同4号に中川玄中『葛藤』、第5号に小城利春『海に鳴る乳房』と新しい書き手が登場します。ただ、俳句・短歌欄に顕著なように、発表者の固定化も起こりはじめてきます。創刊時の、誰もが詠う華やかさは消え去り、さらに発行ペースも1年に1冊がやっと…といった状態になってきました。4号以降、広告収入もなくなり、少しさびしい誌面になってきました。 |
5月13日(金) 第2回 第2号〜第3号 | |
第2号、針山和美氏は『湖にて』を発表。また、これ以降の「京極文芸」を特徴づける「子ども作品の登用」がこの号から始まります。第2号では京極中学校生徒の読書感想文。第3号では学生作文というハイペースです。この他、第3号は、初めて針山和美氏の作品が外れ、代わりに当時の教育長・中川玄中氏の長編紀行『ふしぎな国インド』が登場したり、前田克己氏の連載『後志風土記』が始まったりと、「京極文芸」の新しい展開が見られます。 |
4月8日(金) 第1回 創刊号 | |
昭和48年12月1日、待ちに待った「京極文芸」創刊号の発行です。定価、200円。表紙カットは同人の尾川和彦氏。事務局長であり、編集責任者でもある針山和美氏は40ページに及ぶ創作『支笏湖』を発表しました。この創刊号から第3号にかけては、当時の京極町の会社・商店の広告が載っていることも大きな特徴です。 |
過去の「後志の文学」講座 |
平成27年度 山麓文学館3 平成26年度 山麓文学館2 平成25年度 山麓文学館/沼田流人読書会 平成24年度 京極文学館 平成23年度 「峯崎ひさみ」読書会 平成22年度 「後志の文学」読書会 平成21年度 石川啄木読書会 |